はじめに
病気の進行を長期間にわたって正確に予測することは、適切な治療を見つけたり、新しい薬を開発したりする上でとても大切です。特に、2型糖尿病のような慢性的な病気は、何十年もかけてゆっくりと進むため、その全貌を理解するのは非常に難しいとされてきました。
そんな中、千葉大学の研究グループが、AI(人工知能)の一種である機械学習を使った新しい技術「SReFT-ML(エスレフト・エムエル)」を開発しました。この技術を使うと、なんと2型糖尿病の患者さんの30年間にもわたる病気の進行や、腎臓が悪くなったりする合併症のリスクを、より詳しく予測できるようになります。これは、将来の医療を大きく変える可能性を秘めた、画期的な成果です。
「SReFT-ML」とは?
SReFT-MLは、患者さんのバラバラな検査データから、病気の進行を一生涯にわたって予測するための新しい方法です。これまでの方法では、データが多すぎると計算が大変でしたが、SReFT-MLは「機械学習」というAIの技術を使うことで、たくさんの患者さんの膨大なデータを効率よく分析できるようになりました。
この技術は、患者さん一人ひとりの「観察された期間」のデータ(図1左)を、病気が始まってからの「疾患時間」という共通の時間軸に沿って並べ替え(図1中央)、最終的に病気が一生涯にわたってどのように変化していくかを推定します(図1右)。これにより、病気の「進み具合」を患者さんごとに数値として捉え、病気の共通のパターンを見つけ出すことができます。
研究の背景:なぜ新しい予測技術が必要だったのか
慢性疾患の長期的な進行を理解し予測することは、治療戦略の決定や適切な臨床試験の実施において非常に重要です。しかし、実際の臨床試験の観察期間は長くても数年程度で、数十年にわたる病気の進行全体を捉えるのは困難でした。従来の統計手法では、このような短い期間の情報から病気に特徴的な長期変化を検出することは難しく、患者さん一人ひとりに合わせた医療(個別化医療)に役立つ情報を集めることが課題でした。
研究グループはこれまで、病気の進行を数理モデルで設計する強力な手法「SReFT」を開発していました。しかし、SReFTは大規模なデータに対して計算負荷が高すぎるという問題がありました。そこで、今回の研究では、計算コストを大幅に抑えた「SReFT-ML」を開発し、より多くの患者さんのデータに適用して、2型糖尿病の生涯にわたる進行モデルを構築することを目指しました。
研究の成果:2型糖尿病の30年間の変化を再現
この研究では、約1万人もの2型糖尿病患者さんのデータ(ACCORD試験)と、29種類ものバイオマーカー(病気の状態を示す体の指標)の経時的なデータにSReFT-MLを適用しました。SReFT-MLを使うことで、多数の患者さんのデータを「疾患時間」という共通の進行軸上に再配置し、患者さんごとに異なる病気の進み具合を再構成することができました。
この分析により、以下のような発見がありました。
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複数のバイオマーカーが、疾患時間に沿って一貫した変化パターンを示すことが確認されました。例えば、血糖値の指標であるHbA1cは治療によってあまり変化が見られませんでしたが、腎機能(eGFR)は低下し、神経障害のスコアは増加するなど、2型糖尿病の合併症として知られる臓器機能や生理状態が悪化する方向性の変化が特徴的でした。

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死亡率や合併症発症リスクの予測も可能になりました。疾患時間に沿った心血管死の生存曲線やハザード推移からは、30年という長い期間でイベントリスクがダイナミックに変化する様子が捉えられました。
この研究結果から、SReFT-MLは、従来の年齢や観察期間での分析と比べて、以下のような優れた点があると言えます。
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病気の進行の「進み具合」を患者さんごとに推定できるため、病気の進行が早いグループと遅いグループを区別できます。
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病気の進行軸に沿って、治療の効果や病気のリスクとなる要因の影響を評価できます。
今後の展望
今回のSReFT-MLの開発により、これまで見落とされがちだった病気の進行の共通パターンを明確にできるようになりました。この技術は、将来の治療法開発や、患者さん一人ひとりに合わせた病気のリスク予測モデルに応用されることが期待されます。
受賞について
本研究成果は、米国臨床薬理学会の公式ジャーナル「Clinical and Translational Science (CTS)」に2025年10月23日に公開されたと同時に、米国研究製薬工業協会(PhRMA)財団とCTSが共同実施したコンテストにて「2025 PhRMA Foundation Trainee Challenge Award」が授与されました。これは、臨床・トランスレーショナル科学における将来のリーダーとして認知されるべき若手研究者を表彰するもので、特に2025年は「AI/機械学習」がテーマの論文から、論文の質・インパクト・新規性・テーマの時宜性が厳しく審査され、本論文を含む6論文の第一著者が受賞しました。
論文情報
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タイトル: Development of a Novel Machine Learning Method for Estimation of Life-Long Chronic Disease Progression and Its Application to Type 2 Diabetes
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著者: Yamato Sano, Ryota Jin, Hideki Yoshioka, Yuki Nakazato, Hiromi Sato, Akihiro Hisaka
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雑誌名: Clinical and Translational Science
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DOI: 10.1111/cts.70351
参考資料1
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タイトル: AI/ML in Translation: PhRMA Foundation Trainee Challenge Award
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雑誌: Clinical and Translational Science
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DOI: 10.1111/cts.70380
用語解説
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SReFT(エスレフト): 病気の進行における共通の軸を見つけ出し、複雑な統計モデルを使って、病気が始まってからの時間(疾患時間)とバイオマーカーや症状の変化を並べ替えて分析する手法です。
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SReFT-ML(エスレフト・エムエル): SReFTの考え方を基に、機械学習というAIの技術を使って、より高速で大規模なデータ分析に対応できるように改良された手法です。
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BioLINCC(バイオリンック): 米国国立衛生研究所に属する、過去の臨床試験の情報や生物学的標本を研究者に公開している情報センターです。
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ACCORD試験(アコード試験): 2型糖尿病患者さんにおける血糖コントロールが心臓病などのリスクにどのような影響を与えるかを明らかにするため、約1万人の患者さんを対象に行われた大規模な臨床試験です。
研究プロジェクトについて
この研究は、科学研究費助成事業(JP21K06797)および公益財団法人 武田科学振興財団 2023年度薬学系研究助成の資金助成を受けて行われました。

